商品の詳細
墨の濃淡のみで撫子を描き、また余白の使い方が絶妙で玉章の技量の高さが窺える作品です。極め書は弟子の田中頼章で、箱表に「先師玉章翁筆墨画撫子図」、蓋裏には「頼章鑒了題」と署名してあります。*頼章晩年の落款ですので、箱書は昭和初期と推測されます。\r掛けるとさほど目立ちませんが、撫子のつぼみの上あたりと本誌の右上隅に、風袋(左)に若干のシミがございます。写真8,9枚目をご参照下さい。\r全体的な状態は良好です。\r軸先は人工のものではなく天然の素材が使用されております。\r\r長さ139㎝ 幅69.8㎝(表装の幅を含む)\r\r絹本。極箱(田中頼璋)。\r\r▢川端玉章(かわばたぎょくしょう)\r天保13年(1842)~大正2年(1913)\r日本画家。天保13年3月8日(1842)京都生まれ。本名滝之助。別号敬亭、璋翁など。嘉永5(1852)年中島来章に入門、円山派を学ぶ。小田海僊に画論も学んだ。慶応2年(1866)江戸に移る。内国勧業博覧会、内国絵画共進会などで受賞。東京美術学校(東京芸大)設立に際しては、天心らに認められ21年同校雇、23年教授に就任、45年まで勤めた。日本絵画協会など新派系の日本画団体に出品する一方、旧派の日本美術協会にも参加し、21年には旧派系作家を中心に人選がなされた皇居杉戸絵を揮毫している。円山派に西洋絵画の写実をとり入れ、晩年は文人画も研究した。29年帝室技芸員となり、42年には自ら川端画学校を開設。また22年臨時全国宝物取調局臨時鑑査掛嘱託、30年古社寺保存会委員など、古美術保護にも尽力し、画壇の重鎮として幅広い活動を展開した。\r\r▢田中頼章(たなからいしょう)\r慶応2年(1866)~昭和15年(1940)\r絵師。邑智郡市木村(現・瑞穂町)。森寛斎に師事、その後軍務につく。明治35年上京し川端玉章に入門、号を頼章とする。日本美術協会展で受賞を続ける一方、巽画会審査員、日本画会審査員をつとめ、川端画学校教授となる。同40年に文展が開催されるとと再び入賞、特選を重ね、旧派の実力者として活躍する。大正4年、50歳の時頼章から頼璋に改号する。75歳歿。\r\r【参考文献】\r落款花押大辞典 淡交社\r\r#自分だけの茶道具を持ってみませんか\r#茶わん屋食堂\r#茶道具\r#掛軸\r#絵師\r#茶掛\r#茶会\r#待合\r#日本画\r#円山派\r#床の間\r#川端玉章\r#日本画\r#茶道\r#古美術
カテゴリー: | ホビー・楽器・アート>>>絵画>>>日本画 |
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商品の状態: | やや傷や汚れあり |
配送料の負担: | 送料込み(出品者負担) |
配送の方法: | 佐川急便/日本郵便 |
発送元の地域: | 島根県 |
発送までの日数: | 2~3日で発送 |
商品の説明
週末セール開催 川端玉章自筆『撫子図』掛軸(田中頼璋極箱
週末セール開催 川端玉章自筆『撫子図』掛軸(田中頼璋極箱
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最新のクチコミ
うつによる休職中で自宅にいる時間が長くなったため購入。絵を描くことが好きだったけれど、何も手がつけられない状態だったため、塗り絵程度ならとリハビリ感覚で購入してみました。とっても楽しめました。最初は細かい部分など不安ばかりでしたが、全体像が見えてくるにつれて楽しくなっていきます。終わったらまた新たに購入を検討したいと思います。
- J5607
- 30歳
- アトピー
- クチコミ投稿 1件
購入品
自分への誕生日プレゼントとして購入しました。 子育てや家事に追われる毎日ですが、 子供が寝てからの自分時間に最適だと思います。 無心になれて、心がスッキリする為、 良く眠れるんです^ ^ 絵を描いたりするのは苦手ですが、 決まった場所に決まった色を塗るという簡単な作業の為、不器用な私も完成作品をみると、芸術家にでもなったような気持ちになります。 完成するとまた次、また次とやりたくなります。 とても良い商品に出会えました。 丁寧なご対応、ありがとうございました。 またよろしくお願いします^ ^
- may205
- 38歳
- アトピー
- クチコミ投稿 1件
購入品
ある程度規則性のある抽象画が好みで、こちらを選びました。 やはり簡単なものでも枠があったほうが良いです。
- surface8
- 26歳
- アトピー
- クチコミ投稿 1件
購入品
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